横浜銀蠅

横浜銀蠅

姓名: 横浜銀蠅 英文名:- 性别:组合 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-

姓名: 横浜銀蠅 英文名:- 性别:组合 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-

小档案
 
翔(しょう、本名:田宮 将吉、1958年6月8日 - ) - ボーカル、ギター
楽曲の多くに作詞・作曲で名を記す。メインボーカリスト。神奈川県立柏陽高等学校、関東学院大学卒業[1]。覚醒剤使用で1997年、1999年、2003年に逮捕される。また90年代後半にものまね王座決定戦によく出演しており、審査員や司会者も勤めた。
 
Johnny(ジョニー、本名:浅沼 正人、1958年5月9日 - ) - ギター、ボーカル
神奈川県立柏陽高等学校、神奈川大学卒業[1]。グループ所属中もソロでレコードリリースなどの活動をしていた。メンバーの中で一番人気があり、バレンタインデーにはトラック何台分もの大量のチョコレートが贈られ、本人はその事が不思議だったらしく、大量のチョコレートを見て「この国はどうなってるんだ?」と思ったと言う。解散後もソロ活動を継続した後、1988年にキングレコードに就職。中山美穂、的場浩司らをディレクターとして手掛け、2002年からは「ベルウッドレコード」プロデューサー。1998年の再結成には、復活第一弾アルバム『ぶっちぎりVII』のレコーディング及びCD・ライヴパンフレット用の写真撮影のみに参加し、ライヴは本業が多忙なために不参加、以降は一切参加していない。2007年1月まで、インディーズバンドを支援する「YOKOHAMA FACTORY」を展開した。
 
TAKU(タク、本名:秋葉 卓志、1960年9月22日 - ) - ベース、ボーカル
中央大学中退[1]。 初期の槇原敬之のCD製作や、TV版天地無用!(ねぎしひろし監督版)の主題歌を歌っていたSONIAのプロデュースに関わっており、クレジットに名前が掲載されている。
 
嵐(らん、本名:田宮 淑行、1955年4月15日 - ) - ドラム、ボーカル
最年長者。リーダーで、翔の実兄。キャンディーズのランこと伊藤蘭のファンだったことから、これをもじって「嵐」と名乗った。血液型AB型。数曲の作者として「タミヤヨシユキ」名でクレジットされている。2001年の第19回参議院議員通常選挙に自由連合公認で比例代表区から立候補したが、メンバー並びに業界関係者の応援空しく落選。2004年に脳梗塞にかかり、開頭手術を受けた。2006年6月9日の結成25周年記念コンサートでは、デビュー曲「横須賀Baby」を演奏したが、現在リハビリ中。相模工業大学附属高等学校卒、関東学院大学中退。キャラクターと違い声は甲高く柔らかい人物とされる。
小简介
 横浜銀蝿(よこはまぎんばえ、THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL、TCR横浜銀蝿RS)は、日本のロックンロールバンド。1983年に一度「解散」したが、1998年に活動再開した。
 
リーゼントの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、白いドカン(ズボン)という独特の服装をギミックとして登場。「ツッパリ」、「暴走族」といった当時の時代風潮に乗り一気に若者の人気を獲得した。
楽曲としては、4人で演奏するシンプルなロックンロール、バラードなどから、笑いを誘うコミックソングまで幅広いものがある。
大事件
 
1979年9月21日 - 翔、Johnny、TAKU、嵐の4人でバンドを結成。正式名称は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」。「TCR横浜銀蝿RS」とも表記する。
1980年9月21日 - アルバム『ぶっちぎり』、シングル『横須賀Baby』の同時発売でデビュー。
「銀蝿一家」として、弟分グループ「紅麗威甦」(ぐりいす-杉本哲太在籍)、嶋大輔、妹分アイドルの岩井小百合などがデビュー。
1983年7月23日、テレビドラマ『ザ・サスペンス・川崎探偵団』に出演。
1983年12月31日 - 解散。
1998年1月1日 - 「横浜銀蝿」として翔、TAKU、嵐の3人で再結成。
2002年 - 7月23日に「横浜銀蝿」解散。同日に「湘南銀蝿」結成。以降、同年9月22日に解散するまで翔、TAKU、嵐の3人もそれぞれ「シャーク」、「サンセット」、「ヤシの実」と名乗り夏季限定の音楽活動を行う。解散後の翌日から「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS」の名称で活動再開した。
2006年6月9日「結成25周年記念コンサート」を横浜BLIZで行い再々始動。2010年のデビュー30周年に向け活動している。
 
不祥事 
 
1997年に翔が覚せい剤取締法違反で逮捕され不起訴処分となったが、1999年にも同取締法違反の罪で再び逮捕され1年4ヶ月の実刑判決をうけた。さらには2003年4月24日に覚せい剤取締り法違反で現行犯逮捕。警視庁北沢署によると同署員が渋谷区内で路上駐車していた不審な車を見つけ職務質問し車内を捜索したところ、所持していたバッグから覚せい剤数グラムを発見、現行犯逮捕した。3度目の逮捕の際に責任を感じたのか、実兄である嵐が髭を剃り、坊主頭となった。
また嵐はTBSテレビ『サンデージャポン』で、三田佳子の次男・高橋祐也が再犯で逮捕されたことに関連してコメントを求められた際、再犯の可能性を確認するために翔に対して尿検査を頻繁に行わせている事や、自身や家族も覚せい剤についての勉強をしている事を告白し、家族の協力の必要性も訴えた。
なお、横浜銀蝿はかつて「覚せい剤撲滅キャンペーン」でイメージキャラクターを勤め、当時の中曽根康弘首相に総理官邸に招かれたことがある。その際の事をマッド・アマノが「つっぱり内閣」とパロディー化した。