山口冨士夫

山口冨士夫

姓名: 山口冨士夫 英文名:- 性别: 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-

姓名: 山口冨士夫 英文名:- 性别: 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-

小档案
山口 冨士夫(やまぐち ふじお、1949年 - )は、日本のロックミュージシャン。
小简介
日本人の母と、イギリス人の父の間に生まれる。しかし幼少時は孤児院で育った。
1967年にグループ・サウンズ「ザ・ダイナマイツ」のギタリストとしてデビュー。 リードボーカルを務めたデビュー曲『トンネル天国』はスマッシュヒット。 しかしグループは1969年、大晦日のステージで解散する。
1970年代初頭、盟友・チャー坊(柴田和志)と共に伝説のバンド村八分を結成。 日本のロックバンドのパイオニアとして独自なスタイルを築く。 過激な歌詞、客に媚びないステージは後の パンク・ロックにも通じた。
1973年に「村八分」解散後はソロアルバム『ひまつぶし』を発表。
その後、「リゾート」「裸のラリーズ」「タンブリングス」「ティアドロップス」 などで精力的なライブ活動を展開。
2000年以降、ソロやスリーピース編成などでライブハウスを中心に活動。
2005年に刊行された村八分時代の回顧録『村八分』はバンドのこと、自らのドラッグ遍歴まで赤裸々に語り話題に。
2007年に体調を崩して一切の活動を停止していたが、2008年11月、古巣のライブハウス原宿クロコダイルでライブ活動を再開。
大事件
1965年 瀬川洋らと「ザ・モンスターズ」を結成。 
1967年 「ザ・ダイナマイツ」に改名。シングル『トンネル天国』でデビュー。 
1969年 「ザ・ダイナマイツ」解散。「村八分」結成。 
1971年 「村八分」デビュー。幻の名盤『草臥れて』をレコーディング。 
1973年 京都大学西部講堂にて伝説のラストライブを行う。同年このライブを収録した唯一の正式音源『ライヴ』を発表。これにより彼らの噂は全国的なものへ広がっていく。「村八分」解散。 
1974年 ソロアルバム『ひまつぶし』をリリース。発売から10日後、名古屋市公会堂で行われたレコーディングメンバーによるお披露目ライブは3曲のみ演奏して唐突にステージを去った。 
1975年 ルイズルイス加部らと「リゾート」を結成。 
1979年 「村八分」を再結成。京都大学西部講堂で再結成ライブを行うも、再び自然消滅。 
1980年 「裸のラリーズ」に参加。 
1981年 「裸のラリーズ」を脱退。 
1983年 『ひまつぶし』以来のソロアルバムとなる『RIDE ON!』をリリース 
1980年代中頃 「山口冨士夫グループ」→「タンブリングス」としてライブ活動を行う。 
1986年 シーナ&ザ・ロケッツのアルバム『ギャザード』にギタリストとして全面的に参加。それに伴うツアーにも同行。 
1987年 「ティアドロップス」を結成。シングル『いきなりサンシャイン』でデビュー。 
1988年 忌野清志郎との交流からアルバム『COVERS (RCサクセション)』のレコーディングに参加。 
1990年 自らの半生を語った自叙伝『So What 山口冨士夫』を刊行。しばらくの間、入手困難の希少本としてプレミアがつくが2008年に改訂新装版で復刻。 
1991年 「ティアドロップス」が活動停止。 
1992年 ソロアルバム『ATMOSPHERE-Ⅰ』『ATMOSPHERE-Ⅱ』をリリース。 
1994年 「村八分」時代の盟友、ボーカルの「チャー坊」こと柴田和志がドラッグのオーバードーズにより死去。