木根尚登

木根尚登

姓名: 木根尚登 英文名:- 性别: 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-

姓名: 木根尚登 英文名:- 性别: 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-

小档案
木根 尚登(きね なおと、1957年9月26日 - )は、音楽家、小説家、音楽プロデューサー。本名同じ。身長174cm、体重60kg、血液型B型。
小简介
東京都立川市出身、実家は立川市内で水道工事店を営む。
山梨県の日本大学明誠高等学校卒。
1979年、SPEEDWAYのピアニスト・キーボーディストとしてシングル『夢まで翔んで』でデビュー。その後、1983年に小室哲哉、宇都宮隆とTM NETWORKを結成し、ギタリストに転向する。また、ソロのシンガーソングライターとしても活動している。親友の宇都宮隆とは小学校-高校の同級生で、40年来の付き合い。
音楽の原点は吉田拓郎やかぐや姫などのフォークソング。TM NETWORK結成以前はアコースティックギター及びピアノを弾いており、SPEEDWAY時代はピアノを担当。エレクトリックギターはTM NETWORK結成後始めたと言われる。
小室哲哉に薦められギターメインとなり、それゆえギターの演奏はアコースティックギターがメインである。エレクトリックギターの演奏はカッティングが主体で、ギターソロは松本孝弘や葛城哲哉などサポートギタリストに任せている。TM NETWORKのメンバーの中ではただ一人常時サングラスをかけているのが特徴(TM時代、シングル、アルバム「Self Control」のジャケットで初めてサングラスをはずし、TMN時代は「Love Train」のPVでは眼鏡をかけた事がある)。
1989年に処女作「CAROL」を発表後はファンタジー、絵本(文のみ)からエッセイ、自叙伝、サスペンスまで幅広いジャンルで執筆、コンスタントに出版。作詞家としての他にも文才をみせる。小室哲哉の愛犬をモデルに描いた小説『ユンカース・カム・ヒア』は、後にアニメ化もされ、作品中に父親役で声優にも挑戦。
TM NETWORKのスポークスマンを務めている。
2009年8月10日当て逃げ事故を起こす。 東京都港区南青山の路上で歩行者の男性に接触して軽傷を負わせ、その場から走り去ってしまう。警察の取調べに対し「電柱だと思った」と供述した。
2010年2月14日のブログの中で、自身が参加している舞台の楽屋に小室哲哉が来たことを公表し、話題を呼んだ。
宇都宮隆とは小学生時代からの親友。当時、同じクラスに転校してきたばかりでまだ友達がいなかった宇都宮隆が校庭のブランコに1人でいるのを、木根が見かけて、声を掛けた事がきっかけ。 
実家は水道屋で、SPEEDWAY解散からTM NETWORKの活動が軌道に乗るまでは家業を手伝っていた。当時よく実家の営業車を乗り回していた。ちなみに青いボティーに黄色の字で「水道110番」と書いてある車だったので、小室哲哉の実家に行くと、『近所からよく水道が壊れる家だと思われていたみたいでイヤだったんだよね』、よく助手席に乗せてもらっていた宇都宮隆は「乗せてもらうと恥ずかしいんだよ」と言われていた。(『電気じかけの予言者たち 』より) 
12インチシングルをリリースしていたデビュー2,3年目頃、ダンスミュージックは自分たちのなじんだ音楽で無い為、内心戸惑っていたという。さらに1988年の小室のロンドン移住により噂になった海外進出計画が持ち上がった時、もしかしたら脱退しなきゃいけないかなと感じたこともあったという。 
小室と違い車には無頓着で、「Get Wild」のヒット以降も古く程度の悪い国産小型乗用車に乗っていたため、スタッフに注意されて仕方なく新車のアウディを購入。その後はシーマ等を乗り継いでいた。現在の愛車は白のBMW・5シリーズ。 
服に関しても無頓着な面があり、成人式にはTシャツにジーンズという格好で出席した。当然、そんな格好で出席しているのは自分一人だったため、「浮いていて、とても恥ずかしかった」と語っている。 
デビューにあたり、当時のビジュアルコーディネーターが、小室は「三つ編みで」、宇都宮には「赤い髪でいこう。」と決め、最後に木根のビジュアルをどうしようかと話になったところ「君は・・・・坊主頭だな。」と発言し、危うく坊主頭でデビューさせられるところだった。しかし、本人が反発した為、「じゃあサングラスでもしようか」ということで、サングラスをかけるようになった。このあたりのコンセプトの揺れはデビューシングル「金曜日のライオン」における"謎の中国人"扱いに垣間見える。(『電気じかけの予言者たち』にそんなやりとりがある。) 
サングラスをするようになった為、視力が0.01にまで落ちたが、2004年に視力回復手術を受け1.5にまで回復した。 
唯一サングラスではなくメガネで出演していた番組はNHK教育「ソリトン・夢ときどき晴れ!」である。彼曰く「NHKは司会者のサングラスは禁止」とのこと。最終回でのライブの時は“アーティスト”として参加したためトレードマークのサングラス姿で演奏した。 
ラジオ番組「HITACHI FAN! FUN! TODAY」(ニッポン放送)にゲスト出演した際に、木根所有のピアノに小室哲哉が練習中盛り上ってよく鍵盤に乗られ折られて、それを瞬間接着剤で直していたと話していた。 
アマチュア時代に小室哲哉に貸していたハモンドオルガンが未だに貸しっぱなしになっている。 
高校時代、宇都宮とTBS系テレビ公開バラエティ番組『ぎんざNOW!』に学校に内緒で出演し、学校にばれて怒られる。それで反省の意味をこめてスポーツ刈りにした。 
1984年にTM NETWORKでメジャーデビューした当初、木根は「宇都宮・小室の二人をサポートする謎の第3の男」という設定とされていたためメディアにはほとんど登場せず、テレビ・ラジオへの出演や雑誌のインタビューなどのプロモーション活動は全て宇都宮・小室の二人がこなしていた。この設定は翌1985年前半まで続いた。 
また、高校時代にはTM NETWORKのメンバー宇都宮隆を折伏し創価学会に入会させている。(第三文明社「わが栄光の青春Ⅵ」より) 
一見、冷静沈着に見えるが、実はそそっかしい性格は身内では非常に有名で、煙草の火で小室哲哉の新車の天井、宇都宮隆のアパートのカーテンを焦がした。小室哲哉の実家でシャンパンの栓を抜いたときも,期待通りに天井に思いっきりぶつけた。エレベーターに乗る時も扉が完全に開くまで待てないらしく、開き始めた瞬間に乗るらしい。 
木根作曲の「PURE SNOW」(佐々木ゆう子)について、小室が「こういう曲が作りたかった」と発言した。 
ラジオで「僕が知らない間にTMのベスト盤が出た」と言っていた。 
小室哲哉には常にいいようにあしらわれ、1999年に勝手に“マネージャー”に任命され、2004年の20周年の頃には“プロジェクトリーダー”に任命され、小室流のジョークを知らないマスコミ関係者がまに受けて、真面目に木根にインタビューした。 
TMは80年代は婚姻関係についての話は隠していた為、小室哲哉と木根は結婚して子供もいる事(小室は当時子供無)を隠していた。その為、いまだに結婚していることを知らないファンも存在する。息子のサッカーチームの試合によく顔を出すなど、子煩悩な面も見せる。 
THE ALFEEの坂崎幸之助とは仲がよく、とある成人式の会場にて2人で公演をしたことがある。 
大事件
1979年、ロックバンドSPEEDWAYのピアニストとしてシングル『夢まで翔んで』でデビュー。 
1983年、小室哲哉、宇都宮隆と共にTM NETWORKを結成。主にギターを担当するが、ピアノ、ハーモニカ、コーラス、ベース、作曲なども手がけ、1984年にデビュー。 
1985年、渡辺美里の「eyes」に楽曲を提供し、以来他の多くのアーティストにも楽曲を提供し始める。 
1989年、『CAROL』で小説家デビュー。 
1990年、 TM NETWORKがTMNにリニューアル。TMNのアルバム『RHYTHM RED』収録の『Looking at you』で初めてメインボーカルをとる。ニッポン放送で「木根尚登のオールナイトニッポン」パーソナリティを担当、その後も様々なラジオ番組で軽快なトークで人気を博す。 
1992年、ソロシンガーとしてデビュー。作曲作詞も手がける。 
1993年、宇都宮隆と共に「Act Against AIDS '93」に出演。以降2005年まで毎年参加。 
1994年、TMN終了。ソロとして音楽活動、執筆活動で活躍。 
1995年、NHK教育「ソリトン・夢ときどき晴れ!」でメインパーソナリティを務める。その際、局側の要望もあってサングラスを外しメガネで出演。また、音楽プロデューサーとしての活動をスタート。 
1997年、アニメ映画「エルマーの冒険」サウンドトラックを担当。 
1998年、7月、映画「キリコの風景」へ特別出演。 
1999年、TM NETWORKとしての活動を再開。 
2003年、松本英子、森口博子それぞれとコラボレーションライブを行なう。 
2005年、音楽監督・役者として舞台「家族対抗歌合戦」に参加。 
2006年、椎名へきるとユニットひだまりの活動を開始。 
2009年、音楽監督・役者として舞台「天使の涙 ~竜眼堂物語 VOL.1~」に参加。 
ソロ活動と並行して現在にいたる。