姓名: 伊藤多喜雄 英文名:- 性别:男 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-
小档案
伊藤多喜雄(1950年10月6日 - )は、日本の民謡歌手、作曲家、音楽プロデューサー。2005年から洗足学園大学客員教授。長女は歌手の安曇野めぐ留。
大事件
1950年(昭和25年)、北海道苫小牧市に漁師を営む両親の12人兄弟の末っ子として生まれる。幼少期から父親が歌う追分と津軽出身の母親が歌う津軽民謡に親しみ[1]、その声は地元でも評判となる。苫小牧市立凌雲中学校卒業後の1966年、16歳で民謡歌手を志望して上京。18歳でNHK民謡オーディションに合格し、一躍「民謡界のホープ」として将来を嘱望されるようになる。
1976年(昭和52年)、日本民謡協会民謡民舞全国大会」において3年連続優勝。協会より民謡の教授免許認定。メジャーデビューが約束されていたが、声帯の不調や自身の歌手としてのスタイル模索に悩まされ、一時期不遇の時代を過ごすこととなる。
1983年(昭和58年)、同時代の若き三味線奏者や太鼓奏者と共にTAKiO BANDを結成。伊藤多喜雄の艶のある高音に加えて、和楽器に電子楽器を加えたダイナミックな演奏など、民謡を現代的にアレンジしたスタイルを確立させる。当初、保守的な民謡界からは異色のスタイルに冷ややかな目もあったが、永六輔、小室等、林英哲などから絶賛され、精力的なライブ活動も相まって幅広い世代に支持をされる。以後、TAKiO BANDを主体として活動。
1986年(昭和61年)、『TAKIO JINC』(CBSソニー)でCDデビュー。プロデューサーに小室等を迎え、林英哲(和太鼓奏者)、佐藤允彦(ジャズピアニスト)、高田みどり(パーカッショニスト)ら異なるジャンルの奏者と共演。続く1988年(昭和63年)に2枚目のCD『TAKIO』を発表。その特異性から、発売当時のカテゴライズは、1st「ニューエイジミュージック」、2nd「民謡/ロック」だった。1989年(平成元年)、NHK紅白歌合戦初出場。
1991年(平成3年)、自由な音楽活動を求めて独立。自身の音楽事務所「TAKIOプロモーション」を設立し、自主製作盤『TAKIO SPIRIT』をリリース。全国津々浦々のライブ活動の一方で、数多くの海外公演にも出演。日本の民謡を広く伝える活動を展開する。また、地域に埋もれた民謡や民衆文化の発掘に取り組み、その成果は以後の活動にも反映されていく。1993年(平成5年)、稚内市立稚内南中学校の生徒のために「ソーラン節」をプロデュース。斬新な踊りを交えたソーラン節が全国的ブームとなり、後にCD、映画化される。2003年(平成15年)、紅白歌合戦2度目の出場。曲目「TAKiOのソーラン節」。